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コラム・フロム・ザ・コックピット
ハンマーレーシング
コラム・フロム・ザ・コックピット
『ビッグ・ウェンズデー』
富士スピードウェイの100R。
長く、大きく弧を描く、言わずと知れた高速コーナーである。
JAF-F4(フォーミュラビート)クラスのマシンでは、100Rの途中でアクセルを戻して速度を調整する。その減速と荷重変化を利用してクルマの向き変えを助け、旋回の見通しが立ったところから、できるだけ早く再びアクセルを開けていく。
富士をこのクラスのマシンで走ったことのある方なら、「そうだろう」と思われるはずだ。
これが100Rにおける一般的な走り方であり、長い時間をかけて形づくられてきた、ひとつのセオリーである。
ところが、これまでに二度だけ、そのセオリーの向こう側へ抜けたような走りができたことがある。
「100R、完全フル全開」
Aコーナー(コカ・コーラコーナー)のイン側縁石付近から、ADVANコーナーへの進入でブレーキングを開始するまで、一度もアクセルを戻さない。
文字どおり、完全な全開走行である。
ところが、そのときの走行ログを確認すると、アクセルは全開のままであるにもかかわらず、100Rの途中で車速がわずかに落ちていた。
なぜ、全開なのに減速するのか。
旋回によってタイヤに大きな横方向の力が発生し、それに伴う抵抗が、減速力として働いていたのである。
アクセルを全開に保ったまま、ライン取り、ステアリングを入れるタイミング、舵角が重なり、結果として旋回抵抗が引き出され、100Rを曲がるために必要な速度へ、クルマを自然に落とし込んでいたことになる。
もっとも、走りながら、そんな理屈を考えていたわけではない。
その瞬間にあったのは、理論でも計算でもなかった。
目の前に延びるラインと、手のひらに伝わるタイヤの感触。そして、クルマが行きたがっている場所へ、わずかな操作で導いていく感覚だけだった。
あとになってログを見て、 「なるほど。こういうことだったのか」 と理解したにすぎない。
もちろん、「ハンドルを大きく切れば減速できる」という単純な話ではない。
ライン取り、ステアリングを切り始めるタイミング、舵角、そして切り足しと戻しの繊細な調整。
さらに、タイヤの状態、マシンセッティング、路面温度、風向き、路面に残されたラバー。
それら無数の条件が、恐ろしいほど正確に噛み合ったときにだけ成立する走りなのだと思う。
旋回によって生まれる抵抗を、減速と速度調整に利用する。
私はこの現象を、自分なりに「旋回ブレーキ」と呼んでいる。
ただし、ここには重大な問題がある。
これまで二度しか成立しておらず、意図的に再現することができないのだ。
偶然によるところも大きい。 再現できないものを技術と呼べるのか?と言われれば、否定することはできない。
それでも、一度でも完璧に決まったときの感覚は、身体にも記憶にも鮮明に残る。
音、速度、視界、ステアリングの重さ。
そして、マシンと自分との境界が、ほんの一瞬だけ消えたような感覚。
「あの瞬間、確かにそこにたどり着いた」 その記憶があるからこそ、もう一度、あの場所へたどり着きたいと思える。
過去の記憶でありながら、それは今もなお、自分を前へと走らせる力にもなる。
100Rを完全フル全開で駆け抜けた記憶は、サーフィンでいうところの「ビッグ・ウェンズデー」のようなものなのかもしれない。
映画『ビッグ・ウェンズデー』にも描かれた、サーファーたちが待ち続ける伝説的な大波。そして、その大波が訪れる特別な一日を象徴する言葉である。
サーファーは海へ通い、技術を磨き、身体を鍛えながら、その日が訪れるのを待ち続ける。
しかし、どれほど待ち望んでも、大波を自分の都合で呼び寄せることはできない。
風向き、潮の流れ、潮の満ち引き、そして遥かな沖から届くうねり。
すべての条件が重なったとき、海は突然、普段とはまるで違う表情を見せる。
そして、その日に、自分が海にいなければならない。
大波が訪れても、技量が足りなければ乗ることはできない。技量があっても、気持ちが怯めば沖へ出ることはできない。
反対に、どれほど準備を重ね、どれほど強く願っても、肝心の大波が訪れないこともある。
人間の努力だけで、その瞬間をつくり出すことはできない。
しかし、努力を続けていなければ、たとえその瞬間が訪れても、決してつかむことはできない。
映画の中で「ビッグ・ウェンズデー」は、単なる巨大な波としてではなく、歳月を重ねた者たちが、もう一度それぞれの人生と向き合う日のようにも描かれている。
いつ訪れるかは分からない。
もしかすると、二度と訪れないかもしれない。
すべてが完璧に噛み合う、ほんの一瞬。
それを一度でも経験してしまうと、もう一度、あの場所へたどり着きたくなる。
100Rを完全フル全開で駆け抜けた、あの二度の記憶。
あれはきっと、私にとっての「ビッグ・ウェンズデー」だったのだと思う。
2026/09/09
まだ遠いエンジン音
ドライバーにとって、走れない期間というのは、やはり厄介だ。
マイルを稼げない、経験を積めないというのもあるが、本当に苦しいのは、周りが走っているのに、自分だけが止まっているように感じる時だと思う。
次に乗った時、前と同じように走れるのか。速度感は鈍っていないか。ブレーキを奥まで持っていけるのか。
考え始めると、まだ走ってもいないのに、もう遅くなったような気がしてくる。
走れない時に一番怖いのは、感覚そのものを失うことではない。
失ったのではないかと、自分で思い込んでしまうことなのではないだろうか。
実際、走ることに勝るものはないだろう。
ブレーキのタッチも、ステアリングから伝わってくる感触も、身体にかかるGも、マシンが限界へ近づいた時の気配も、やはり実際に乗らなければ分からない。
だから、走れないことが不利なのは間違いないのだが、何もできないわけでもない。
車載を見返し、データを見直し、コース図を見ながら一周を思い出す。
どこでブレーキを踏み、どこから抜き、どこへ視線を送っていたのか。
マシンが向きを変えるまで、自分は待てていたのか。
ただ眺めるのではなく、その時の感覚まで思い出してみる。
どこで迷ったのか。どこで身体に力が入ったのか。どこでミスしたと思ったのか。
実際に走れないなら、頭の中で走るしかない。
いわゆる脳内走行だが、これも意外に馬鹿にできない。
うまくいく一周だけではなく、ブレーキングをミスった時や、リアが動いた時、ひとつのミスを引きずりそうになった時に、どう立て直すのかまで考えておく。
それだけでも、実際に似た場面が来た時の余裕は少し違う。
私自身、しばらく走れなかった後は、乗る前から妙な不安を感じることがある。
以前なら普通にできていたことまで、もうできなくなっているような気がする。
ところが、実際に乗ってみると全部なくなったわけではなく、 少し感覚が遠くなっていただけだったと感じることが多い。
何周か走るうちに、ブレーキの感覚を思い出し、視線の流れが戻り、身体から余計な力も抜けてくる。
そんな時は、「ああ、まだ自分の中に残っていたんだな」と思う。
だから、最初から前と同じように走ろうとしなくていい。
久しぶりなら、久しぶりなりでいいと思う。
「前と同じように走らなければ」と考えるより、「今回はどこまで戻ったか」と見た方がいい。
走れない時に維持しておきたいのは、闘争心ではないと思う。
いつも気持ちを張り詰めている必要はないし、走れないことへの苛立ちを抱え続けても、それが速さにつながるわけではない。
次に乗った時、また感覚を戻していき、そこから以前とは違う何かを掴めるかもしれない。
走れなかった時間を経たことで、これまで以上に進化できるかもしれない。
そのくらいの信頼とポジティブさを、自分の中に残しておけばいい。
走行距離が少ないことは不利だし、そこは綺麗事では埋められない。
だが、走れないことばかりを考え、自信まで失ってしまえば、コースへ戻る前から本当に遅くなってしまう。
走れない時のコンディション維持というのは、感覚を完全なまま保つことではないと思う。
たとえ少し遠くなっても、また自分の手で拾い直せる。そう思っていられることだ。
いつ走行を再開できるのか。どのレースから復帰できるのか。
今は、まだ分からない。
それでも、その時が来たらすぐに動き出せるように、準備だけはしておこうではないか。
2026/07/09
世界3大レース制覇より、勝ち点1
2026ル・マン24時間
下馬評を覆し、TOYOTA RACINGが1位と3位という見事な結果を残した。
今回はテレビ中継ではなく、ネットで情報を追いながらレースの行方を見ていたが、それでも十分にドラマチックな展開は伝わってきた。
刻一刻と変わる天候と路面状況。
各陣営の戦略、ピットインのタイミング、突然襲ってくるマシントラブル。 順調に走っていたはずのマシンが、ひとつのトラブルで大きく後退する。
逆に、苦しいポジションにいたマシンが、気がつけば優勝争いに加わっている。
24時間という長いレースでは、最後まで何が起こるかわからない。
速いだけでは勝てないし、壊れないだけでも勝てない。
ドライバー、マシン、チーム、戦略。 そして、少しばかりの運。
それらがすべて噛み合って、ようやくル・マンの頂点に手が届く。
やはりル・マンには、ル・マンにしかないドラマがある。
今季のトヨタを取り巻く状況や事前の評判を考えれば、今回はとてつもない大きな勝利と言ってよいものだったらしい。
フェラーリ、BMW、キャデラック、プジョー、アルピーヌ、アストンマーティン。 名だたるメーカーが一堂に集まり、それぞれの技術と威信を懸けて24時間を戦う。
単なる一レースではない。 自動車メーカー同士の技術競争であり、ブランドの誇りを懸けた戦いでもある。
その舞台で、日本の自動車メーカーであるトヨタが下馬評を覆し、1位と3位を獲得した。
テレビでも、そのゴールシーンを観たいと思いながら、翌朝のニュースを観ていた。当然、少しくらいは報じられるものだと思っていた。
ところが、ニュースはサッカーワールドカップの予選リーグ初戦、日本代表が引き分けて勝ち点1を獲得したという話題が大きく取り上げられていた。
もちろん、サッカーは多くの人に支持されている人気スポーツである。
日本代表の試合が大きく報じられることに異論はないし、多くの人が結果を知りたいのだから、ニュース番組が時間を割くのも当然だと思う。
ただ、世界三大レースのひとつといわれるル・マン24時間で、トヨタが優勝したという事実には、私が見たニュースでは1秒たりとも触れられなかった。
サッカーの報道が多いことを嘆いたわけではない。
ただ、モータースポーツは一般のニュースの中では、存在していないも同然なのだと感じた。
自動車産業は、日本を代表する産業のひとつである。
そこには技術があり、人がいて、長い時間をかけて積み重ねてきたものづくりがある。
その日本のメーカーが世界の舞台で戦い、歴史ある大レースで頂点に立った。
その価値は、一競技の勝敗だけに収まるものではない。
日本の技術力、組織力、そして現場の力が、世界最高峰の舞台で結果として表れた出来事でもあるはずだ。
それでも、テレビのニュースの中では何も起きなかったことになってしまう。
モータースポーツに関わる者や、長年見続けてきたファンにとっては大きな出来事でも、その世界から一歩外に出れば、ほとんど届かない。
トヨタの快挙以上に、報じられなかったという事実が、強く心に残った朝だった。
2026/06/27
遠い昔に聞いた、スピードの声
今でも覚えている。
35年ほど前だっただろうか、筑波サーキットで行われていたプロダクションカーの耐久レース。そのデモランで走ったF3000マシンが、目の前をものすごいスピードと音で駆け抜けていった。
ドライブしていたのは、確かロス・チーバーだったと記憶している。
ただ速かった、というだけではない。 あれは、何か別のものだった。
姿も、音も、空気の震えも、すべてが一体となって突き刺さった。
目の前を通り過ぎた後、なぜか涙が出た。
自分でも、何に打たれたのか、うまく説明できない。
感動という言葉でも少し違う気がする。
もっと剥き出しで、もっと直に感じるものだった。
あのとき確かに、ただの「車」ではない何かが、目の前を通り過ぎていったのである。
最近のモータースポーツの流れを見ていると、思うことがある。
環境問題。 カーボンニュートラル。 エコ。
時代は確かに、そちらへ向かっている。 それは否定できない。
モータースポーツも、その流れの外にはない。
そこに背を向けて済む話ではないし、環境への配慮を笑うつもりもない。
現代を生きている以上、その課題とは向き合うしかない。
だが、それでも思うのである。
耳を劈くようなエンジン&エキゾーストサウンドは、決して懐古主義ではない。
昔は良かった、というだけの話ではない。
ただ騒がしいものをありがたがっているのでもない。
そこを雑に片づけられると、違うだろう、と言いたくなる。
速さと音がひとつになったとき、人は理屈を越えた何かを感じる。
スピードと音の組み合わせに、魂が騒ぐ。
それは、気分の問題だけではない。
機械が限界へ向かっていること。
回転が上がっていくこと。
いまこの瞬間にエネルギーが解き放たれていること。
そういうものを、人は音で受け取っている。
目だけでは足りない。 耳で浴びて、身体で受けて、はじめて速さが実体を持つ。
私はそう思っている。
2014年、F1が自然吸気V8からV6ターボハイブリッドに変わったとき、セバスチャン・ベッテルは「パドックが社交ダンスの場になってしまった」と嘆いた。
あの言葉は、今も印象に残っている。
単に音量の話ではなかったのだと思う。
現場から、大事なものが抜け落ちた。
そういう感覚だったのではないか。
マシンが全身で吠えている感じ。
サーキット全体が緊張を帯びる感じ。
音が空気を支配していた、あの時代。
あれは数字の説明だけでは埋まらない種類のものだったはずである。
モータースポーツにおける音は、単なる付随物ではない。
それは速度の気配であり、回転の昂ぶりであり、人&マシンが限界へ向かっていることを耳で知るための現実でもある。
視覚だけでは足りない。 あの音があるからこそ、人は速さを身体で理解できる。
音は演出ではないく、速さの一部なのである。
私は、静かであることが、正義だとは思わない。
もちろん、環境への配慮は必要である。
そこから目を背けるつもりはない。
だが一方で、人の感性を震わせるものまで、あっさり切り捨ててよいとは、まったくもって思わない。
モータースポーツは、単に速さを競うだけのものではない。 人&マシンの限界と、人の感情の震えとを、同時に見つめる文化でもあると思う。
その中で音が果たしてきた役割は、小さいどころか、かなり大きいはずだ。
音には、数字では置き換えられない説得力がある。
ストレートを通過するマシンを目で追っている時の、音圧レベルの変化。
コーナー進入時のダウンシフトの弾けるような音。
立ち上がりでまた重厚な音に変化していく時の、張り詰めるようなあの変化。
ただ聞いているだけなのに、こちらの内臓までつかまれるような感じになることがある。
観客席にいても、ピットにいても、音は身体に直接届く。
だから音が薄くなるというのは、ただ静かになるというだけではない。
モータースポーツが持っていた魂を揺さぶる力が、少し薄くなるということでもあるのだと思う。
疾風改に積んでいる2ZZエンジンは、排気量こそライバルより小さいが、どちらかというと高回転型のエンジンである。
このエンジンの価値は、数字だけでは語り切れない。
上まで回したときに現れる、あの抜けのいい音。
あれは、ただ回っているというだけではない。
マシンが自らの資質を露わにしていく瞬間の声のようなものである。
回転上昇とともに音が変わり、鋭さを増し、機械の内側にある性格そのものが剥き出しになっていく感じ。
ただ走ればそれでいいとは思っていない。
ただ速ければいい、という話でもない。
エキゾーストも工夫し、観る者の感性を刺激するようなサウンドに仕上げたいと思う。
1800ccの4気筒エンジンでは、たかが知れていると思われるかもしれない。
昔の大排気量多気筒エンジンの、シンフォニーのような重厚な音は望めない。
だが、無いなら無いなりにに、出せる世界がある。
切れ味のある音。
上で抜けるような甲高い音。
ただ耳に届くだけではなく、胸に刺さる音。
そういうものは、まだ作れると思っている。
こういった部分にも創意工夫ができるのが、フォーミュラビートの美点の一つだ。
見た者、聞いた者の心に、何かを残すマシンにしたい。
ただ速かった、で終わるのではなく、 「あの音は忘れられない」 そう思ってもらえるようにしたい。
速さだけでなく、音でもまた、人の心を震わせるマシンでありたいのである。
あの日、筑波でF3000を見て、なぜ涙が出たのか。
いま振り返れば、それはスピードそのものに打たれたのではない。
速さと音がひとつになって、感性に触れ、魂に訴えかけてきたからだと思う。
目の前を通り過ぎたのはF3000マシンだったが、自分の中に残ったのは、それ以上の何かだった。
速さへの憧れ。
フォーミュラカーへの畏れ。
人の感情を揺さぶるものとしてのモータースポーツの力。
そういうものを、一度に身体で受けたのだと思う。
だからこそ、音は懐古ではない。
ただ昔を恋しがるための記憶ではない。
今なおモータースポーツが人の魂を揺さぶりうる、その理由のひとつなのである。
2026/05/28
不屈の男
アレックス・ザナルディが亡くなった。
59歳だった。
私と同じ歳である。
それだけに、なおさら心に来るものがある。
ただ遠くの英雄が去った、という話ではない。
自分と同じ時間を生きてきた一人の男が、その生涯を閉じた。
そう思うと、その喪失はどこか個人的な重みを帯びるし、彼の生き様は、大きな病気を経験し付き合っている私にとって、生きる道標の一つでもあった。
速さを競う世界で頂点を極め、そこで終わらず、常人なら立ち上がることさえ難しい絶望的状況の中から、なお別の頂へ向かっていった。
その歩みは、単なる美談ではない。
むしろ、あまりに現実離れしていて、美談という言葉ぐらいでは軽すぎる。
CARTという、アメリカにおけるトップフォーミュラカテゴリーで2度チャンピオンになった。
その時点ですでに、ひとつの時代を築いた男である。
ザナルディは1997年と1998年、CART王者となった。
だが、彼の人生を真に特別なものにしたのは、その先だった。
2001年、CARTで大クラッシュを喫し、瀕死の重傷を負った。
幸い一命は取り留めたものの、両脚を失うこととなる。
それは、頂点を極めたレーシングドライバーにとって、あまりにも残酷な現実であった。
そこで心が折れてしまうのが普通だろうし、誰も責めることは出来なかったはずである。
多くの人間は、そこで競技人生は終わったと思っただろう。 あまりにも大きな喪失であり、あまりにも過酷な運命だったからだ。
だが、ザナルディは終わらなかった。
“身体を失っても、希望までは失わなかった”
絶望を受け入れながら、それでもなお前へ進み続けた。
絶望を知らないまま前を向くことは、ある意味では出来るのかもしれない。
だが、本当の意味で失い、本当の意味で現実を見た人間が、それでもなお進もうとすることは、言葉で言うほど容易ではない。
彼は、想像を絶する困難の中で、ひたすら前を向き続けた。
手だけで操作できるように、特別に作ったツーリングカーでのレースを続けた。
さらにハンドサイクル(手で漕ぐ自転車競技)の世界で、なんと!世界の頂点に立ったのだ。
パラリンピックで合計4個の金メダルを獲得したという事実だけでも、まったく持って常識離れしているとしか言いようがない。
ひとつの人生で、トップフォーミュラの王者となり、両脚切断という瀕死の重傷を負い、それでもなお、その後まったく別の競技で世界の頂点に立つ。
そんなことが本当にあり得るのか、と普通は思う。
だが、彼はそれを現実にしてしまった。
本当に、あり得ないほどの不屈の精神である。
そして、その闘いはなお終わらなかった。
2020年、ハンドサイクルのレース中にトラックと衝突し、脳に重い損傷を負ってしまう。 長い昏睡状態が続いたが、その後は自宅療養ができるまでに回復した。
だが、言葉(コミュニケーションとしての)も失い、なおリハビリの途上にあったのである。
人生と向き合う闘いは、最後まで続いた。
2026年5月1日、アレックス・ザナルディはその生涯を閉じた。
人間の強さとは何だろうか。
腕力や根性論だけでもない。 まして、弱さを見せないことでもない。
本当の強さとは、自分の身に起きた取り返しのつかない現実から目を逸らさず、そのうえでなお前へ進む力のことではないだろうか。
ザナルディの人生は、そのことを心に突きつける。
希望とは、都合のいい未来予想ではない。
希望とは、壊された現実の上に、それでももう一度立とうとする意志なのだと、彼はその身をもって示した。
最後まで闘っていたのだと思う。
競技という意味だけではない。
生きることそのものと、闘っていたのだと思う。
失ったものの大きさに呑み込まれず、残されたものを磨き上げ、そこから新しい地平を切り開く。
それは派手な言葉よりも、はるかに強い。
彼の生き方そのものが、人間の強さの証明であった。
そしてまた、そこにはモータースポーツという世界の、ある本質もあるように思う。
速さを求める世界は、ときに人から多くのものを奪う。
だが同時に、その世界を生きた者の中には、奪われたあとにすら立ち上がろうとする異様なまでの生命力が宿ることがある。
ザナルディは、その最も象徴的な存在だったと思う。
速さを知った者が、ただ速さに滅ぼされるのではなく、そこからなお生の形を作り直していく。 その姿に、多くの人が胸を打たれたのだと思う。
不屈とは、痛みを感じないことではない。
不屈とは、傷つかないことでも、倒れないことでもない。
深く傷つき、現実に打ちのめされ、それでもなお、そこから自分の人生を引き受け直すことだ。
ザナルディは、その意味で、本当に不屈の男であった。
彼はもういない。 だが、その生き方は私たちの心のなかに残る。
結果として残した記録だけではない。 もっと深いところに残る。
人はここまで立ち上がることが出来るのか。
絶望的状況に陥っても、ここまで前へ進み続けることが出来るのか。
その問いとともに、彼の存在はこれからも消えないだろう。
アレックス・ザナルディ。
その名は、ただ速かった男としてでも、ただ勝った男としてでもなく、 失っても失っても前へ進み続けた男として、長く記憶されることだろう。
不屈の男であった。
本当に、不屈の男であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
このニュースを知った日(5月2日)。
私はもてぎで疾風改のテスト走行をしていた。
だが、そこでメカニカル面の大きなトラブルに見舞われた。
正直に言えば、復旧させるには資金的にも厳しく、半ば諦めかけていた。
恥ずかしい話だが、気持ちはかなり後ろを向いていた。
そんなとき、ザナルディの訃報を知った。
失ってなお進み続けた男の人生が、頭に浮かんだ。
あの男に比べれば、自分がいま立たされている現実など、まったくもってちっぽけな事柄だと思った。
前を向くということ。
ザナルディは、その意味を最後まで教えてくれている。
2026/05/02
我に悔い無し
ニューマシンで臨んだ、フォーミュラビート第2戦もてぎ。
予選3位。
決勝では、予期せぬ出来事によって順位を落とし、6位でレースを終えた。
数字だけを見れば、胸を張れる結果ではない。
勝負の世界で6位は、やはり6位でしかない。
表彰台に乗ったわけでもなく、人から見れば「悪くはないが、勝負には絡めていない順位」と映るだろう。
それもその通りである。
だが、レースというものは、ときに順位表だけでは量れない。
結果は動かない。それでも、その一戦の中で何を掴み、何を見て、何を次へ持ち帰れたのかまでは、数字だけでは表れない。
我々の心に残ったのは、敗北感ばかりではなかった。
むしろ、確かな前進をつかんだという実感のほうが大きかったのである。
圧倒的な速さを誇る二人のドライバーがいる。
彼らが出場したレースでは、どちらかが必ず優勝するというレースが16戦も続いている。
まさに無敵艦隊。
いや、別チームの二人なのだから、「無敵連合艦隊」と呼ぶべきかもしれない。
優れたドライバーと優れたマシン。 勝率100%で勝ち続けている2人。
こちらから見れば、率直に言って、うんざりするほど強い。
少し何かが上手くいったくらいで揺らぐような相手ではない。
こちらが「少し手応えがあった」と感じた日に、向こうは平然とその遥か先を走っている。
そういう相手である。
まず、純粋な速さの面で、こちらは秒単位で負けていた。
今回のレースウィークでも、プラクティスの段階では2秒近い差があった。
この2秒は重い。
一カ所の失敗で失った0.2秒ではない。
一周を通して少しずつ負け続け、その積み重ねが最後に2秒になる。
気合いだけで埋まる差ではないのである。
だから、速さだけを見れば、彼らが出場しているレースで予選3位に終わったことは驚くような話ではない。 むしろ順当である。
それでも、ただ打ちのめされて終わったわけではなかった。
こちらにはこちらの進歩があった。
それが、今回いちばん大きかった。
ニューマシン『疾風改』は、まだ完成していない。
煮詰めるべき部分はある。
セットアップも、まだ探る余地がある。
乗り込んで、試して、外して、また合わせていく。
そういう過程の、まだ途中にある。
しかし、それでもなお、これまでとは違う手応えがあった。
走らせていて分かるものがある。
数字になる前に、身体に伝わってくるものがある。
応答の仕方、動きの質、向きの変わり方、前へ出ていく感触。
その一つひとつに、「これは違う」と思わせるものがあった。
もちろん、その違いがそのまま勝利を連れてくるわけではない。
レースはそんなに甘くない。
それでも、進むべき方向は間違っていない。
少なくとも、道を外れてはいない。
そう思えるだけの感触が、もてぎの走行には確かにあったのである。
彼ら二人に次ぐ、予選3位という結果も、偶然ではない。
やはり、速さの絶対値ではなお届かない。
そこに無理な希望を差し込むつもりはない。
だが、限られた条件の中で一つひとつを積み上げ、届くところまで届かせた結果ではあった。
完璧ではないが、その時点で出せるものは出した。
少なくとも、出し切らずに終わった予選ではなかった。
無敵連合艦隊の背中は遠い。
それは事実である。
だが、まるで見えないわけではなかった。
今回は、差の正体が少し見えた。
どこで負けているのか。
何が足りないのか。
どこを詰めれば勝負になるのか。
そこが、ぼんやりではなく輪郭を持って見え始めたのである。
これは、次へ進むうえで非常に大きい。
決勝では、予期せぬ出来事によって順位を落とした。
レースに「たられば」を持ち込んでも仕方がない。
起きたことは起きたことであり、その結果として6位になった。
それが現実である。
その現実を、都合よく書き換えるつもりもない。
それでもなお、今回のレースを単なる敗戦とは思っていない。
なぜなら、負け方にも中身があるからだ。
何も掴めず、何も見えず、ただ力の差だけを思い知らされて終わるレースがある。
そういう一戦は、順位以上に重く残る。
だが今回は違った。
こちらが武器に出来るところ。
まだ勝負にならないところ。
踏ん張れる領域と踏ん張れない領域。
攻めるべきところと守るべきところ。
そういうものが、かなり具体的に見えた。
そこには、敗北の中にも次へつながる手触りがあった。
速い者は速い。
強い者は強い。
その事実は認めるほかない。
だが、認めることと諦めることは別である。
相手が強いからこそ、自分たちの立ち位置もはっきりする。
どこで負けているのか。
何が足りないのか。
どこを詰めれば、勝負の土俵に上がれるのか。
それが見えるなら、敗北はただの後退ではない。
むしろ、次の進路を示すものになる。
今回のもてぎで得たものは、まさにそこだった。
『疾風改』は、戦うための土台になり得る。
まだ荒削りではある。
だが、ただ新しいだけのマシンではない。
可能性を感じさせるモノがあった。
まだ完成には遠い。
それでも、「作り込めば戦える」と思わせるだけのものが、確かにあった。
そして何より、こちらもまた、その可能性を現実に変えていく作業を続けられる位置にいる。
ドライバーとして。
チームとして。
マシンとして。
まだ速くなる余地がある。
つまり、前進の余白が残っているということである。
これは、ただ負けただけの一戦からは得られない感触であった。
レースでは、結果がすべてだと言われる。
それは正しい。
順位表に残る数字は、誰の目にも同じ形で現れる。
言い訳はそこに入り込めない。
だから6位は6位であり、それ以上でもそれ以下でもない。
ここを曖昧にするつもりはない。
勝ったわけではない。
満足できる順位でもない。 だが一方で、次に勝つための材料は、必ずしも表彰台の上だけに転がっているわけではない。
敗れたレースの中にこそ、次の勝負を変えるだけの材料が埋まっていることがある。 今回が、まさにそうであった。
悔しさはある。
もちろんある。
もっとやれたのではないか、という思いも消えない。
だが、その悔しさは空虚ではなかった。
手応えを伴った悔しさである。
次へ向かう熱を残す悔しさであった。
だから、下を向く理由にはならない。
我に悔い無し。
それは、結果に満足しているという意味ではない。
6位でよかったと思っているわけでもない。
限られた条件の中で出せるものは出し、見えるべきものも見えた、という感覚である。
やるべきことをやった。
足りないものも見えた。
そのうえで、まだ前へ進めると思えた。
その意味で、今回のレースに悔いはないのである。
チェッカー後、車検場まで迎えに来てくれた、メカニックでもある妻の表情にも、どこか晴れやかなものがあったように感じた。
敗戦の中の手応えは、現場にいた者にしか分からない。
だが、その表情は、我々がただ沈んで終わったのではないことを物語っているように感じた。
無敵連合艦隊は、いまだ無敵である。
だが、遠いままの存在ではない。
縮めるべき差は、確かに見え始めている。
必要なのは、幻想ではなく現実を見ること。
そして、その現実の中で一つずつ積み上げていくことだけである。
速さに魔法はない。 あるのは、分析と修正と反復だけだ。
今回、その積み重ねが間違った方向には向いていないことを確認できた。
それが何より大きかった。
もてぎの6位は、順位表の上では平凡かもしれない。
だが、我々にとっては違った。
そこには、次へ進むだけの根拠があった。
ただ負けたのではない。
敗戦の中で、確かな前進をつかんだのである。
だから、我に悔い無し。
負けた。
だが、前に進んだ。
それで十分とは言わない。
だが、それは確かな事実である。
そして、そうした事実を一つずつ積み重ねた先にしか、勝利はないのである。
2026/04/29
速度×質量の暴力
先日のF1日本グランプリで、オリバー・ベアマンが受けたクラッシュ時の衝撃は50Gに達したと報じられた。
50Gというのは、想像を絶する重力加速度だ。
20歳の若者であるベアマンがマシンから救出され、オフィシャルに支えられながら歩き、ふらついて、ついには地面に座り込む。
あの姿は、衝撃というものが単なる数字ではなく、人間という存在の輪郭そのものを揺るがす力であることを、静かに語っていた。
私自身も、最近では2025年のフォーミュラビート第1戦鈴鹿で、およそ10G(ロガーから計算したもの)のクラッシュを経験している。
10Gでさえ、身体には十分すぎるほどの衝撃だ。
一瞬で自由が失われ、内臓の位置まで変えられるのではないかという圧力が来る。
その瞬間、マシンを操っているのではなく、速度と質量がミックスした暴力のなかで、自分がどれほど脆い存在であるかを思い知らされる。
これは、ヒロイズム(英雄的行為)を賛美する話ではない。
速度と破壊が隣り合う世界では、ときにそれは観念ではなく、生身の肉体に突きつけられる現実となるのだ。
1985年の日航機123便墜落事故では、乗員乗客524人のうち520人の方が亡くなった。
運輸安全委員会による事故調査報告書では、墜落時に100Gを超える衝撃を受けた可能性があるとされている。
100G。
そこまで来ると、もはや「耐える」という言葉自体が、表現的に穏やかすぎる。
人はそれを受け止めることはできない。
ただ打ちひしがれ、そのなかでなお消えなかったものだけが、“超奇跡的”に生の側に残る。
100Gを超える重力加速度に、人間は耐えることができるのか。
その問いは、日常のなかではまず必要とされない。
だがこの世界には、そのはるか先の重力加速度を受けた男がいる。
デビッド・パーレイ。
1977年、シルバーストーン。
F1イギリスGP、予備予選中の事故だった。
スロットルは全開のまま戻らず、彼のマシンは減速という最後の救いを失ったまま、壁へ吸い込まれていった。
衝突時の重力加速度は、なんと!驚くことなかれ、後の検証で179.8G!!とされている。
数字だけを見れば、もはや現実感はない。
だが、その現実感のなさこそが、この事故の本質なのではなかろうか。
人間が、本来経験するはずのない停止を、肉体ごと強制されたのである。
現場を見た者たちは、言葉を失っただろう。
あまりにも壊れ方が激しかった。
あまりにも止まり方が異様だった。
マシンは完全に原形を失い、人が生きていると考えるほうが不自然な残骸だけが、そこにあった。
私は当時の画像を見たが、全長が1/2ほどに圧縮され、もはやコクピット部分が無い。(そう見えた)
オフィシャルたちはただちに救出作業に入った。
だが、それは「助ける」というより、オフィシャルとしての強い義務感と、ただの金属の塊となったマシンを見た衝撃に突き動かされたものではないかと思う。
そして、そこにあったのは、常識ではとても生を期待できないほど損なわれた身体だった。
両腕両脚を粉砕骨折、頸部は折れ、内臓もまた激突の凄まじさで破裂していたという。
そして、心臓はすでに停止していたのだ!
誰が見ても、答えは一つだと感じたに違いない。
だが、それでもなお、命は完全には消えていなかった。
病院へ搬送されたのち奇跡は起こる。
なんと、止まっていた心臓がふたたび鼓動を刻み始めたのだ!
しかしその後も、何度も止まり、何度も蘇生を繰り返した。
その度に生命は断ち切られるかと思われたが、医師たちの懸命な処置が、紙一重でそれを断ち切らせなかった。
パーレイは、ほとんど奇跡としか言いようのない形で、死の淵から引き返してきたのである。
それは、人間の身体が壊されながら、なお生へ引き戻されようとする、「強い執念」の記録である。
では、人は100Gを超える衝撃に耐えられるのか?
おそらく、答えは単純ではない。
人は100Gを受け止められるわけはない。
そんなに強いわけはなく、むしろ驚くほど脆いのではないか。
もっと遥かに低いGでも、ほんの数Gの差、ほんの一瞬の角度、ほんのわずかな拘束条件の違いで、命は簡単に失われる。
だがその脆さのうえに、なお説明しきれない形で、生の側に残ることがある。
パーレイの179.8Gは、人間の強さの証明というより、人間の脆さと、生への執着が同時に剥き出しになった出来事だったと思う。
グランプリでは、予備予選を通過できるかどうかという位置を走っていた彼は、速さという面ではF1で「記録」を残すことはできなかったが、「最も高い重力加速度から生還した人間」としてギネス認定され、「記録」として永遠(恐らく)に刻まれることとなった。
身体がズタズタになり、何度も死の淵から蘇り、その死生観も当然のごとく変わっていったと思われるのだが、彼の速さへの飢えは終わることはなかった。 F1への復帰は叶わなかったが、速度への渇望そのものが消えたわけではない。
フォーミュラからツーリングカーレースへと活動の場を移す。
そして、彼はやがてモータースポーツを離れ、アクロバット飛行の世界へ身を移していく。
地上で極限を見た男は、今度は空へ向かったのである。
しかし、速さを求める者は、ときに地上でも空でも、同じ深淵に近づいていく。
1985年7月2日。
パーレイは、アクロバット飛行の練習中、ボグナー・レジス沖のイギリス海峡で墜落し、帰らぬ人となった。
1977年シルバーストーンで、あれほど 身体を徹底的に壊され、何度も心停止し、何度も蘇生を繰り返したパーレイの強靭な心臓は、その約8年後、ついに永久に活動を停止したのである。
2026/04/01
希望的観測という逃げ道
2026フォーミュラビート開幕戦鈴鹿、予選。
トラブルで、グリーン上にマシンを停めることになった。
レースでマシンが止まること自体は、珍しい話ではない。
接触もある。スピンもある。クラッシュもある。
だが、マシン側が先に音を上げて走りが終わるときは、少し質が違う。
自分の運転でどうにか出来る範囲を越えたところで、唐突に終わるからだ。
デグナーに差しかかったあたりで、大きな異変を感じた。
もう「また何とかなる」という段階ではないと、直感した。
クラッチを切り、安全な場所までマシンを運んだ。
機械にも寿命はある。
生き物にも寿命はある。
だが、機械のほうがドライだ。
こちらの都合など、おかまいなしに終わる。
そして機械には、生き物のような自然治癒力がない。
人間なら、少々無理をしても持ち直すことがある。
傷も塞がる。痛みも引く。
一晩寝れば、少し楽になることもある。
だが機械はそうはいかない。
減ったものは戻らない。
削れたものは削れたままだ。
傷んだ箇所は、こちらが見て見ぬふりをしても、そのまま傷んでいく。
今回の件も、不運の一言で済ませるつもりはない。
資金の制約はあった。
交換したい部品、手を入れたい箇所は他にもあった。
だが現実には、使える金には限りがある。
まだ使えるものは使う。 今でなくてもいいものは先へ回す。
そうやって、やりくりしながら走らせているのだ。
そこに、「まだ大丈夫だろう」という希望的観測が混じる。
正直に言えば、混じっていた。
開幕戦までは持つのではないか。
今回ぐらいは越えてくれるのではないか。
そういう見方が、どこかにあった。
だが、それも含めて自分の責任である。
自分はドライバーである前に、メカニックでもあるのだから。
グリーン上に止めたとき、悔しさはもちろんあった。
だが、それだけではなかった。
「ああ、ここで終わりか」
まず来たのは、そんな感覚だった。
何か大きな不運が突然降ってきた、というより、いくつかの判断の先に、このコース上ストップがあったのだろうと思った。
走っているときのドライバーは、案外忙しい。
ブレーキのことを考え、荷重のことを考え、前後の動きを感じながら、次の操作を決めていく。
自分で動かしている感覚がある。
だが、ひとたび機械が本当に沈黙すると、その感覚はあっけなく剥がれる。
もう出来ることは多くない。
壊し切らないようにすること。
危ないところに止めないこと。
あとは、現実を受け入れることくらいだ。
開幕戦は、やはり特別である。
冬の間に考えてきたことがある。
試したいこともある。
今年はこう入っていきたい、というイメージもある。
そういうものを積んで最初の一戦に来ている。
だから、その最初でマシンを降りることになると、順位以上にこたえる。
速い遅いの話まで行っていない。
まず走り切れていないからだ。
レースは、速さだけの勝負ではない。
最後まで走ること。
壊さないこと。
壊れないこと。
それも含めての勝負である。 そう考えると、今回のはただのトラブルではなかった。
準備のこと、判断のこと、資金のこと、見立ての甘さ。
そういうものが、一度に表へ出た結果なのだと思う。
機械は正直だ。
無理をかけたぶん、いつか返してくる。
こちらが祈っても、気合いを入れても、持ち直してはくれない。
その意味では、生き物よりよほど正直で容赦がない。
だから、こちらも都合のいい希望ではなく、現実を見るしかない。
足りないなら足りないなりに考える。
使うなら、そう判断した責任を引き受ける。
壊れたなら、原因を自分の外へ追いやらない。
結局、次に進むにはそれしかないのだと思う。
鈴鹿のグリーン上で止まっていた時間は、短いのに長かった。
走っているときには見えないものが、止まると急に見えてくる。
自分はどこで現実と折り合いをつけ、どこで希望を混ぜたのか。
何を優先し、何を後回しにしたのか。
走っている時間だけがレースではないのだ。
止まった時間にしか見えないものも、確かにある。
2026年開幕戦、鈴鹿。
私のマシンはグリーン上で止まった。
それは事実として悔しい。
だが同時に、見なければならないものを見せられた時間でもあった。
次へ進むなら、そこから目を逸らしてはいけないのだと思う。
2026/03/03
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