著者:ハンマー伊澤
走るとは、ただ速くなることではない。むしろそれは、崩れそうになる自分を、もう一度組み直すための行為だ。サーキットには、言い訳が置けない。荷重の移ろいは正直で、路面は沈黙したまま結果だけを返す。ブレーキを踏み切れない瞬間、視線が近づいてしまう癖、操作が乱れるときの胸のざわめき――それらは技術不足というより、生き方の癖として現れる。 本書『走りの哲学』は、走行という極限の時間を通して、判断・恐怖・習慣という人間の根を掘り下げていく。限界は壁ではなく輪郭であり、輪郭を知るほど恐怖は形を持つ。形を持てば、対話できる。速さとは、気合の増幅ではなく、静けさの獲得である。 ラップの中で起きる一つひとつの微細な選択が、日常の意思決定に似ていることに気づいたとき、走りはただの趣味を超えて「道」になる。何を恐れ、何を信じ、何を手放すのか。走ることで、自分の人生がどこで詰まっていたのかが見えてくる。速さを求める者にも、人生を立て直したい者にも、この本は一枚の地図になるだろう。
【まえがき】
はじめて書いた本『フォーミュラ道』を発行できたこと。 その事実だけで、私には十分すぎるほどの意味がありました。手に取ってくださった方、言葉をかけてくださった方、走りの現場で支えてくれた方、その一つひとつが、私にとっては「次の一周へ向かうためのきっかけ」でした。まずはそのことに、心からお礼を申し上げます。
『フォーミュラ道』は、走りを題材にした本です。でも意外にも、いただいた反響の中で強く残ったのは、「走り」の外側へ広がっていく感覚でした。 「人生につながる部分を感じた」
「内容には普遍性があって、どのようなことにでも当てはめて考えられる」 そうした評価をいただきました。 走りという行為は、タイムやデータだけで完結しません。迷い方、恐れ方、踏み出し方、諦め方—走りには、必ずその人の『生き方』が映ります。私はその声を、走りの現場で何度も見てきました。だからこそ、改訂にあたっては、原書よりもさらに意識して「走り以外」にも当てはめられる形で書き直しました。走りを離れた瞬間にこそ立ち上がってくるものを、拾い直すように。見直し、修正し、加筆するという作業は、私にとっては『もう一度走り直す』ことに近い時間でもありました。
私は、物事を文章化し、書くことは割と出来ます。 頭の中で起きていることを整理し、順序をつけ、言葉に変換していく作業は、むしろ得意なほうだと思います。
紙の上なら、何度でも書き直せます。言い過ぎた部分を削り、足りない部分を足し、誤解されそうな言葉を選び直すこともできます。 その繰り返しの中で、私は自分の考えの輪郭を掴み直してきました。
しかし、人前に立つと途端に言葉が出てこなくなります。 言いたいことはあります。伝えたいことも確かにあります。 それなのに、視線が集まった瞬間、喉の奥が固くなり、胸の内側だけが先に熱くなります。
頭の中にあったはずの文章が、まるで白紙に戻ったように消えてしまいます。 口を開こうとすればするほど、言葉は細くなり、頼りなく途切れ、結局、私は曖昧な笑いでその場を繕ってしまいます。
それは性格の問題というより、私にとって「声」は、限界の影響を受けやすい媒体だと感じます。 焦りや緊張、場の空気—そうした『環境』が少しでも強くなると、言葉は簡単に制動されます。
まるで、熱を持ったブレーキが踏みしろを失っていくように。 だから私は、声の代わりに文章へ託すことにしました。 喋るのが苦手だから書く、というだけではありません。
文章なら、瞬間の緊張に飲まれずに済みます。 自分の中にあるものを、焦らず、正確に、必要なだけの強さで表現することが出来ます。 そして何より、書くという行為は、私にとって「限界の内側で最善を出す」ための走り方そのものでした。
ここに綴るのは、格好のいい言葉ではありません。 速さを誇るための武勇伝でもありません。 ただ、何度も限界に触れ、何度も言葉を失い、それでも進もうとしてきた一人の記録でもあります。
「声が出にくいなら、文章で書き記そう」 それが、私の選んだスタートの仕方です。 章と章のあいだに挿まれた短い『余章』それは、単なる補足ではありません。むしろ、この本の『もうひとつの心臓』です。
走るという行為を語るとき、人はどうしても技術や理屈に目を奪われがちです。しかし本当は、『生き方』がそこに現れます。 迷いの位置、恐れの深さ、曲げ方の癖、踏み出すタイミング。それらはマシンの挙動より正直に、人の内側を照らします。
余章は、その『内側』に触れるための小さな窓です。人生は、直線のように見えて、実際には細かい揺れと分岐の連続でできているように感じます。 誰にも見えないその揺れこそが、その人を形づくっています。私はそれを、サーキットで、そして人生で、何度も思い知らされてきました。
だからこそ、余章には日常の景色や、旅先の記憶、あるいはふと胸に生まれた静かな気づきを散りばめました。走りの中にだけ真理があるのではありません。
日々の生活の片隅に落ちているものこそ、走りを変え、人生を変える力になります。そんな確信が、いつからか私の中に根を張っていました。 人は、他人の教科書では変われません。変わるのはいつも、『自分の言葉が立ち上がった瞬間』だけです。余章は、その瞬間を呼び起こすための、ささやかな仕掛けです。
説明ではなく余白を、理屈ではなくもっと普遍的な事象を挙げる事により、読者の中の『まだ言葉にならない何か』が、静かに形を得ていくのではないか。そう信じて、この改訂版を書きました。
人生は、思い通りにならないことのほうが多いのに、不思議と、ほんの一言や一場面が、人の方向を変えることがあります。 もし、この本のどこかが、あなたの心のどこかと小さく響き合い、前に進むほんの『半歩』を与えられたなら—それだけで、この改訂版を書いた意味は充分すぎるほどあります。
章と章のあいだに置かれた余章こそ、息継ぎの場所であり、人生の歩幅をそっと整えるための場所なのです。 そして願わくば、その息継ぎが、あなたにとって「もう一度走り出すための静かな合図」になりますように。