20代の頃は、俗に言う「走り屋」でした。
仕事が終わると、毎日のように夜な夜な人里離れた誰も来ない峠に走りに行っていました。
やがて、サーキットでの走行会や草レースに参加するようになります。
30代になり、近くにサーキットが出来てからは、サーキット会員になり、ほぼ休みの度に走りに行くようになります。
そこで新たに知り合った仲間(ライバル)達と競い合い、タイムアタック大会でサーキットコースレコードを競い合うようにまでなりました。
そのうち、筑波サーキットの会員にもなりました。
スポーツ走行日では、当時FJ1600が大盛況で、コクピットの横にデカデカと漢字で名前が書いてあるマシンが何台も走っていました。
フォーミュラカーが走っている姿を間近で見たのはそれが初めてでした。
フォーミュラ隼も甲高い快音を奏でながら走っていたのを今でもハッキリと覚えています。
「カッコイイ!乗ってみたい!」と思いながらも、自分とは全く別の世界の事だと思っていました。
とてつもなくお金がかかり、自分には到底乗る事は出来ない乗り物だと思い込んでいました。
30代後半にちょっとした病に悩まされ、しばらく走る事から遠ざかります。
今は車庫で眠っている愛車で、いずれまたサーキットを走りたい!
そう思いながらもそのまま40代になりました。
そして、今度は生死を彷徨う大病を患いました。
手術で一命は取り留めたものの、その時の医師からは「仕事を替えたほうが良い。デスクワークの仕事が良い」と言われました。
サーキットも、2度と走る事が出来ないものと絶望しました。
先を悲観し、自分にとって困難な時期に色々な事がありましたが、
「死ぬ気になれば何でもできる」と、変な度胸も身についたのもその頃でした。
そんな日々を過ごしながらも、仕事に復帰するため、リハビリを続けていました。
ある日、移動中に「インドアカート」の看板が目に入りました。
それまでカートと言う物にはあまり興味がなく、遊園地のゴーカート位しか乗ったことはありませんでした。
実際、その看板を見ても特に何も感じ無かったのですが、何故か妻が妙に気にし始めたのです。
妻曰く「車とは違うけど、タイヤが4つ付いた乗り物だし、リハビリにはちょうど良いんじゃない?」
どんな物なのかも分からなかったので、下見にも行きました。
それでも躊躇している自分の背中を押したのはやはり妻でした。
一度乗ってみて、無理そうなら途中で帰って来れば良い。
カート場に血圧計等を持ち込み、場内にAEDが設置されていることも確認、救急搬送の経路も確認し、万全の体制で初走行に挑みました。
今思えばそれがフォーミュラへの入口だったのです。
インドアのレンタルカートとは言え、そこにも本気で挑んでいる人達がいて、かなり刺激を受けました。
リハビリのために始めた自分も、いつしか本気でカートを乗りこなしたいと思い始めます。
アウトドアのカート場でKTで練習。その頃知り合ったレンタルカート場の店員さんから、フォーミュラのレーシングチームのオーディションの話を聞かされます。
昔よく見たFJ1600。
絶対に自分が乗ることは出来ないだろうと思い込んでいたフォーミュラカー。
そのフォーミュラカーが、いつの間にかすぐにでも手が届く所にあったのです。
FJ1600に乗り始め、その魅力にとりつかれ、その後はスーパーFJ・F-4(JAF-F4)等のフォーミュラに乗ります。その内、元々メカをいじるのが好きだったって事もあり、メンテナンスも自分で行いたいと思うようになりました。
以前は、全く別の世界の乗り物だと思い込んでいたフォーミュラ。
意外にも身近に有り、手軽にレンタルで乗る事が出来る。
この事をもっと多くの人に知ってもらいたい!
もっと多くの人にフォーミュラカーの魅力を味わってもらいたい!
それが私たちハンマーレーシングの目指すものであり、目標です。


本社工場
〒289-1334
千葉県山武市和田154-1
TEL.090-8116-9445
千葉事務所
〒284-0044
千葉県四街道市和良比313-115
TEL.090-8116-9445